ご挨拶
機関誌より'08年9月
中央美術協会機関誌「セントラル」より
本年は60回の記念すべき展覧会を迎えます。
長い間中美展に関わりを持った者としてこんなにうれしいことはありません。
これまでの皆様のご協力を心より感謝しております。
これからますます日本美術界の一助なる美術団体になることを目指したいと思います。
そのために中央美術協会として出来る事は、
良い作家を、一人でも多くの良い絵描きを、産み出す事だと考えております。
葉っぱ一枚から宇宙が見えると言った画家がいました。
小泉淳作さんの本に「絵は読むもの、書は見るもの」とあって感動した事があります。
絵とは感覚で見るものではなく、読み取るものだった。
絵画は知的な作業です。作者が何を考えてその作品を作ったのか。考えない人は上達しない。
ジャガイモでも何でもよく観察するといろいろな色が見えてきますし、簡単な黄土色では無いはずです。
川瀬巴水はほとんど見えないほどの弱視でしたが、
望遠鏡とかいろいろな道具を使って風景の細部までごまかさずに描いています。
「禁じられた遊び」のナルシソ・イエペスもギターを持って構えると譜面が見えないほどの弱視で、
顔をつけるようにして譜面を読み込み、隅々まで暗譜してから弾いたそうです。
絵を描く者は深く観察する事です。物であれ、人間であれ、自分自身であれ、観察は無限に深いものです。
安野光雅さんは「昔から割合上手に絵が描けたが、それ自体は面白い事でも何でもないから、近頃は上手く描かないように努力しているくらいです。」
「上手になるのではなく、自分なりの表現ができればよい。それでいいです。」と語っています。
コンスタブルは絵を完成させることができなかったそうです。
いつまでの自分のアトリエに絵を置いて数日ごとに手を入れては「まだまだだな。」と嘆いていた。
売れた絵でも、その後も気になり「あそこの構図が気に入らない」などと言っては、買ってくれた人の家にまで行って手を入れていたそうです。
同じような話はルオーにもあります。フォルム画廊の福島さんの本には、
ある日ルオーがやってきてコレクションの絵を直し始め絵を結局だめにしてしまった話がのっています。
いつまでも、もっとよくしようとする事、を考え続けるのがプロなのです。
ウィーンフィルの名手たちが弦楽四重奏を組んで来日した際のコンサートに、芸大のカルテットが前座で演奏した事がありました。
そのリハーサルで芸大の学生は自身満々にチョロチョロと音合わせをして本番に臨んだ。
世界一流たるウィーンフィルの四人は「ある曲の最後の和音のピッチが、ほんの少し合っていない。」と、
それが完璧に合うまで何度も何度もしつこいくらいにに音合わせをしていたそうです。
高みにある者はさらなる高みを目指して精進する。ここに一流と二流の差が出るのです。
現在の殺伐とした社会は、芸術を軽視してきた結果なのではないのでしょうか?
人間の本能に根ざしている芸術というものを軽視し、
実利を重視して戦後を歩んできた結果と認識しております。
経済と利便性のみが生活の基準とは思わないのです。
アフリカのどんなに貧しい所でも、踊りがあり、音楽があり、壁にも、布、器にも模様が描かれているのは、
人間にとってそれが重要な事だからでしょう。
踊り、音楽、絵画(模様)からイマジネーションをつかみ取りたいのです。
感動があって、その表現として芸術がある。だから我々人間はいきいきと生活できるのです。
このような重要な使命をになっているのが芸術家である事を忘れず、
60回展と回を重ねる中美展の会員諸氏とともに精進を重ね、65回展、70回展と発展し続ける事を願い、
記念の挨拶とさせていただきます。
中央美術協会会長 千正 博一